s面白いですね。
先日の第8話の冒頭において香椎隊長(大森南朋)と曽我(綾野剛)の会話に出てくるハイジャック事件のことが気になったので調べてみました。
ダッカ日航機ハイジャック事件は、1977年9月28日に日本赤軍が起こしたハイジャック事件である。
フランスのパリ シャルル・ド・ゴール国際空港発東京国際空港(羽田)行きの日本航空472便(機長以下乗員14名、乗客142名うち犯人グループ5名)が、経由地のインドのムンバイ空港を離陸直後、拳銃・手榴弾等で武装した日本赤軍グループ5名によりハイジャックされた。
犯人グループは人質の身代金としてアメリカドルで600万ドルと、日本で服役及び勾留中の9名の同胞の釈放と日本赤軍への参加を要求。
超法規的措置
日本政府は福田赳夫内閣総理大臣(当時)が「一人の生命は地球より重い」と述べて、身代金600万ドルの支払いと、超法規的措置として獄中メンバーなどの引き渡し(うち3人は出国拒否)を決断。
日本政府が過激派による獄中メンバーの釈放要求に応じたのは1975年のクアラルンプール事件以来2回目となった。
現地での軍事クーデター
バングラデシュ軍部中枢を含む政府首脳がこの事件の対応に追われている隙間を縫って、10月2日の早朝に軍事クーデターが発生。その後戒厳令が発令され、市内及び郊外における戦闘の末に最終的に反乱軍は鎮圧されたものの、ダッカ国際空港近辺でも戦闘があり政府軍の士官が11名が死亡するなど現地は緊迫したが、当時報道規制により詳細は分からなかった。
日本赤軍はこの軍資金の調達と有力メンバーの奪回に成功し、国際テロへと拡大していく。世界各国から、日本政府の弱腰対応に非難の声が高まった事件であった。
特殊部隊創設
同年、日本政府はGSG-9(ドイツの特殊部隊)を参考に、ハイジャック事件に対処する特殊部隊を警視庁と大阪府警察に創設した。
創設当初、特科中隊もしくは零中隊などと呼ばれており、部隊の存在自体が長期間非公開とされていたが、1995年に発生した全日空857便ハイジャック事件に出動し、犯人を逮捕、人質を救出したことで世間に知られるようになった。
その後これらの特殊部隊は部隊を増設し、装備を強化した上で、SAT(Special Assault Teamの略称)と呼ばれるようになった。
二次災害…?
この事件を報道するニュースをきっかけに、福岡県の結核療養所に入院していた患者が「人質がどうなってしまうのか」で同室の患者と口論となり、ナイフで刺殺してしまったという事件も起こっている。
出典
ダッカ日航機ハイジャック事件 – Wikipedia
事件史探求